> March 20, 2015

(Song X Interview - vol.000)Interview with Vinicius Cantuaria

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 ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するブラジル人シンガー・ソングライター、ヴィニシウス・カントゥアリアがリオからNYに移住したのは1994年のことだった。それは、彼が昔からとりわけ敬愛してきた母国の音楽家アントニオ・カルロス・ジョビンが亡くなった年でもある。そして、そのジョビンの20周忌に合わせてリリースするつもりで2013年から録音が開始されたのが、ここにあるニュー・アルバム『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』である。タイトルどおり、ジョビンの作品だけをカヴァしたコンセプト・アルバムだ。しかし当然ながらヴィニシスウの歌は、これまで星の数ほど世に出てきたジョビンの諸々のカヴァ作品とは趣が異なる。ここにあるのは、潮風と共に宙を漂うボサノヴァではない。ヴィニシウスの横顔の輪郭を浮かび上がらせるのは、水面を舞う陽光ではなく、都会のアパートのカーテンの隙間から差し込んでくる一条の白い光である。そして、密林のむせかえるような湿気と精霊を宿したかのような、ほの暗く甘美な歌声...。2012年に出た前作のタイトル『アパート暮らしのインヂオ(Indio De Apartamento)』は、ヴィニシウスの立ち位置と哲学を的確に表現していた。彼は、アルバム・タイトルについて、こう語る。(以下、本人の言葉は2013年来日時におこなった僕のインタヴューから)

 「私はアマゾナス州で生まれた。それはつまり、インディオだということを意味する。私はアマゾンの緑のジャングルを出て、今はNYのコンクリートのジャングルで暮らしている。NYのアパートには、自分の弓と矢がある。つまり、ギターと歌が。そして、自分のスタジオもあるし、パソコンも使う。そういった都会のコンクリート・ジャングルの中で、ナマモノとテクノロジーを調和させた音楽を作っているのが私だ。そういう思いで、あのタイトルをつけたんだ」

ーヴィニシウスはアマゾナス州のマナウスで1951年に生まれ、7歳以降はリオで育ったのだが、"アマゾナス州生まれのインディオ"としてのアイデンティティは、昔から現在まで一貫して彼の音楽表現のよりどころとなってきた。

 「アマゾナスは、ブラジルの他の地域とは全然違う。森で覆われ、それが壁になっている。それは物理的意味だけではなく、精神的、イデオロギー的な壁でもあるんだ」
 
ー彼は、自分の音楽の土台には、アマゾンの音楽、ノルデスチの音楽、リオの音楽があると語るが、中でもアマゾンの音楽/音に対する意識は強烈であり、幼少時の生活環境から受けた影響の大きさについて何度も繰り返す。

 「マナウス時代はラジオで音楽を聴いていた。当時マナウスには一つしかラジオ局がなく、クラシックからポップスまで区別なくごった煮状態で一日中音楽が流されていた。50年代末期だから、ジョビンなどの音楽も少しずつ流れるようになっていた。あと、ストリートで庶民がやっている音楽も耳に入ってきていた。暑いから日陰に椅子を出し、誰となくギターを弾き、歌っていた。だいたいはラジオでかかる音楽のコピーを皆やっていたけど、特に先生がいるわけじゃなく、自己流なので、自分が聞こえたように勝手にやっているのが多かった。それは、マナウスという"場"からの影響が大きな音楽だ。先住民(インディオ)が多い地域なので、そういうリズムなども無意識のうちに入っている音楽なんだ。アマゾンには黒人がほとんどいない。つまり、アフリカが希薄だ。だから、サンバ的なリズムはほとんどない。代わりにインディオの音楽のリズムがあるんだ」

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ー記憶の最も奥底に残っている音の情景も、ジャングルと深く関わっている。 

「マナウスは今は大都市だけど、私が幼い頃はまだジャングルと一体化した町だったし、アマゾンの膨大な水と森に囲まれていた。自宅前の通りを下ってゆくと、行き止まりは川で、その先には未知の世界、ジャングルが広がっていた。日常的に川をカヌーで行き来する人々がいて、彼らがたてる音や、さわがしい会話、果物売りの声...そういったものが混然一体となった世界が、私にとってのアマゾンの情景なんだ。ジャングルの方からは、インディオやカボクロ[土着化した白人や、インディオと白人の混血] の人たちの音楽も聞こえてくる。インディオの音楽はハーモニーがない。同じメロディを一緒にユニゾンで歌う...」

ーそういったアマゾン的感覚こそが、冒頭で述べた『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』を覆う甘美なほの暗さ、陰影の深さの正体なのだろう。たとえばエグベルト・ジスモチンチも、若い頃の一時期アマゾンで暮らし、インディオ文化のエッセンスを自分の表現の中にとりこんでいったわけだが、ヴィニシウスのアマゾン性はそういった後天性の感覚、いわば学習して得たものとは異なる。いわば、文化的遺伝子なのだ。

 「ジャングル的、アマゾン的な感覚は、今回の『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』や前作『アパート暮らしのインヂオ』に限ったことではなく、私の作品、歌や演奏のすべてに入っている。長いつきあいのカエターノ・ウェローゾをはじめ、この新作のようにビル・フリゼルや坂本龍一とやっても、いつだって私の演奏の中にはアマゾン的要素が入っている。どんなにカリカオぽいジョビン作品であっても、私がやると、どうしてもアマゾン的ニュアンスが出てしまうんだ。更に言えば、現代のインディオたちは、アマゾンのジャングルに住んでいても携帯電話やパソコンを持っている。そういう点でもまた、私の音楽はアマゾン的なんだ」

ーそんなヴィニシウスによるジョビン作品のカヴァ・アルバム『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』。録音は2013年秋から、なんと東京でスタートした。坂本龍一や沢田穣治など日本人音楽家も交えながら。なぜ、日本だったのか。 

「今回のアルバムに関しては、日本で録音するということに大きな意味があると思ったんだ。ブラジル音楽に関して、日本人はひときわ強い関心を持ってくれているし、そのブラジル音楽のひとつの象徴であるジョビンのカヴァ集を日本で制作するというのは、とても理屈にかなったものだと思っている」

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ーそして、今改めてジョビンを歌うことについて。

 「2014年が彼の20周忌ということも、関係なくはないが...そんなことよりも、やはりジョビンという人間に対するシンパシーということだね。なにしろ、ジョビン自身もジャングルの人だしね。生まれはリオだけど、彼は鳥が大好きであり、森に入って鳥の観察をしたり、鳥の鳴き声の真似をしたりしていた。自宅も、リオのはずれの森にあった。環境問題などには誰も関心がなかった時代から、彼は、水をきれいにしようとか、環境に関してさんざん発言していたし、エココンシャスな歌も作った。そういう点で、彼の感覚はインディオたちに近い。というか、インディオそのものだ。私は、音楽の美しさに加え、そういった点で強烈な親近感をずっと抱いてきたんだ」

ーもちろん、個人的なつきあいも浅くなかった。

「幸いなことに、彼は僕のことをとても気に入ってくれていて、あれこれと面倒を見てくれた。94年のNY移住は、アート・リンゼイの誘いが直接のきっかけだったんだが、実はジョビンも、音楽家として成長できるから行った方がいいと後押ししてくれたんだ。おかげで、様々な音楽的実験が繰り広げられている渦中で多くの人たちと出会い、今もとどまることなく、私はますます"ブラジル人"になりつつある。この20年で、ブラジル音楽に新しいアイデアを投入し、それまでとは違う回路を作り上げることはできたんじゃないかなと思っている。ブラジルの建築家オスカー・ニーマイアーがそれまでの常識からは外れた建物を作ったようにね」

 アマゾネンセ(アマゾナス人)としての血を強烈に自覚しながら、NYのビルの谷間で独自のスキルとセンスを磨いてきたブラジル人音楽家によるジョビン作品集。『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』とは、つまりそういうアルバムなのである。

 「ブラジルの音楽家たちは、これからもずっとジョビンの作品を演奏し続けるべきだと思う。ジョビンは鳥のように飛べる自由な精神を生涯持ち続けた。その精神を忘れないためにも、僕らは常にジョビンの作品を演奏し続ける必要がある」

            松山晋也/Shinya MATSUYAMA