> May 9, 2015

夜の歌を聴きながら

夜の歌を聴きながら 

今井栄一(2月13日、金曜日の夜に)  

冬の夜、知り合いと渋谷で呑んだ後、歩いて家まで帰ることにする。自宅は武蔵小山の辺りだから、けっして近くはないけれど、遠すぎるということもない距離だ。これまで幾度も、渋谷、六本木、青山界隈から歩いて帰ったことがあった。「キラー通りより向こう側なら、地下鉄に乗る」と決めている。「キラー通りよりこっち側」なら、歩いて帰ることも多い。雨が降っていなくて、暑すぎなければ大丈夫。寒いのはまったく気にならない。歩いていれば身体はぽかぽかしてくる。夏の暑さの方がずっと辛い。8月の蒸し暑さの中、歩いて帰る気にはなれない。真冬の寒さは歩くのにちょうどいい。それに、歩くのは身体にいい。酔い覚ましにも、腹ごなしにもなるし。そして、1時間ちょっとの散歩は、音楽を聴くのにもちょうどいいのだ。  
 部屋で、レコードやCDで音楽を聴くのがもちろん一番いいのだろう。「音楽は部屋の中で、空気の中で鳴らして聴くべきだ」と誰かが言っていたけれど、なるほどその通りだよなと思う。でも僕は、自分の車を運転しながら聴く音楽も大好きだし、iPodで、飛行機の中、列車の中で聴く音楽もかなり好きだ。そして夜に、酔っぱらった頭のまま、歩きながらイヤフォンで聴く音楽も。  
 そんなわけで僕は、今夜、ポケットからiPodミニとイヤフォンを取り出し、指で画面をスクロールして、昨日そこに入ればかりの、おおはた雄一の新譜を出す。イヤフォンを耳にきっちりセットして、マフラーを少し持ち上げ首元を温めるようにして、歩き出し、プレイ・ボタンをクリックする。それから手袋もする。とりあえず道玄坂を降りて右へ曲がろう。歩道橋で246を渡り、線路沿いを恵比寿の方へ歩こう。おおはた雄一『夜の歌が聴こえる』、というアルバムだ。
  まさに、今の気分にぴったりじゃないか。  

 冬の夜に、渋谷で呑んで、冷たい月を探しながら歩くとき、「夜の歌が聴こえて」きたら、完璧だ。月はどっちに出ているのか、それとも今日は新月なのか、今はどこにも見えない。 

「窓辺にて」  おおはた雄一の「声が変わった」と思った。あるいは、録音状況やマイクの種類で、ボーカルとは大きく変わるのだろう。技術的なことは僕にはよくわからない。でも、おおはた雄一の声が、それまでのアルバムとは違うような気がする。
  何よりもまず、聴き始めてすぐ感じたのは、おおはたの「声のよさ」だ。「声」が、クリアに、冷たいくらいにクリアに、響いてくる。すごくいい。すぐそばで歌ってくれているような、そんな感じがある。英語に「crystal clear」という表現がある。「とんでもなく透明」というような意味だ。川や海の水があまりにきれいで透き通って見えるときなど、「crystal clear!」と言う。おおはた雄一の声が、そんな風に聴こえてくる。あるいは酔っぱらっているせいなのか、あるいは今夜の冷たい空気のせいかもしれないけれど。ロックでもジャズでも何でもそうだが、ボーカルがくぐもって聞こえたり、歌声が遠くに感じられてしまうような歌曲が、僕はどうも苦手だ。誰かが歌っているなら、歌声はいつも、真ん中にクリアに聴こえていて欲しい。いつどこで聴いてもまるでギュッと胃袋をつかまれるようなボブ・ディランの声。消えない波紋のようなビリー・ホリデイの声。肩を抱いてくれるようなルイ・アームストロングの声。北の大地のようなK・D・ラングの声。空から降ってくるようなニナ・シモンの声。たとえばそういった「声」が、僕は好きなのだ。おおはた雄一にも、いつか、そんな唯一無二の歌声になって欲しいと思う。

 「グッドイーブニング、ブルー」  歩きながら音楽を聴いていて楽しいことのひとつに、自分の歩調と風景と音楽がシンクロする瞬間、ということがある。  グッドイーブニング、ブルー、と歌う彼の声とリズムが、今の僕の歩調にぴったり合っている(少しだけ速いかもしれないが)。以前にも、おおはた雄一のアルバムを聴きながら夜に歩いたことがあった。広尾から武蔵小山まで歩いて帰ったあの夜も、快適な歩調だった。おおはた雄一の歌とリズムは、もしかしたら酔っぱらった頭と足にちょうどいいのかもしれない。今度、酔っぱらっていないとき、試してみないと何とも言えないけれど。  口笛が流れ、風景が流れる。自分が歩いているのに、まるで自分は止まっていて風景が流れている、そんな気分になる瞬間がある。そういう瞬間が続きながら歩いているときは格段に心地いい。ある種のトリップだ。何も吸っていなくても、ハイになれるのだ。そういう音楽がある。  歩く僕の左横を、混雑した山手線が行き交う。代官山の片隅のこの辺りは人通りも少なくて、いつも静かで、好きだ。渋谷から線路沿いを恵比寿へ向かうこの道を、これまで何百回と歩いてきた。ひとりで、あるときにはガールフレンドと。でも、ほとんどひとりで。恵比寿の雑踏が少しずつ近づいている。 

「小さなアンセム」言葉のある歌は、時に聞き流すことができない。メロディとリズムにのって「言葉」が、自分に語りかけてくるからだ。  もちろん、聞き流すことだってできる。日常的に音楽を聴いているときには、聞き流していることが多いだろう。けれど、ひとたび歌の「言葉」が自分に語りかけ始めると、その「言葉」は途切れることなく自分に入ってきてしまう。それで、あれこれと考え込むことになる。立ち止まらず歩きながら考える......。  そんなわけで、「自分の顔」について考える。「誰かの傘」について考える。「忘れて慣れてしまう」ことについて考える。ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」が大好きだ。おおはた雄一のこの「小さなアンセム」も、僕にとってこれからきっと、そのような大好きな歌のひとつになっていくだろう。思わず、名曲だな、と独り言を言い、そばを通った人が気味悪そうに僕を見た。 

「未来の月」代官山と恵比寿は僕にとって、小さな故郷のような街だ。20代の頃、ずっとその辺りに暮らしていたからだ。今夜歩いてきた、渋谷から代官山を少しかすって恵比寿へと向かう線路沿い、山手線の線路を見下ろす小さな部屋に最初暮らしていた。それから恵比寿駅の向こう側、広尾へと向かう五叉路のそばに引っ越した。  僕が恵比寿界隈に暮らしていた頃、アメリカ橋はまだ本当に「あめりか橋」という橋で、ガーデンプレイスはなかった。代官山には同潤会アパートメントがあり、そこの銭湯に時々行ったものだ。恵比寿駅は平屋のように小さな駅で、渋谷の隣駅だというのに、田舎町の駅のような感じで、それが恵比寿を好きだった理由のひとつでもあった。渋谷のあの雑踏まですぐだと言うのに、恵比寿は、まったく別の雰囲気のある街だった。その頃この街には、24時間営業のコンビニがまだ一軒もなかった。僕が住んでいた部屋のそばにサンエブリというコンビニがあり、そこが唯一の「遅くまで開いている店」だった(それでも24時に閉店だった。1990年代前半のことだ)。恵比寿駅の東口には、週に何度か、明け方4時頃に開く怪しい屋台があった。「由希子」という名の屋台で、明け方に開き、お昼頃までやっていた。会社勤めじゃない人たちが集まって、朝の7時、8時にユキコさんの温めた熱燗を飲みながら、名物のおでんを食べている様子は、なかなかにアヴァンギャルドだったと思う。タモリさんがその屋台の常連だったと聞いたけれど、少なくとも僕はそこでタモリさんを見かけたことはなかった。そう、若造の僕も常連だったのだ。明け方に呑みに行き、昼頃まで呑んでいる、そんな屋台に行けるのは、真っ当な人たちとは言えないかもしれないけれど、その屋台は間違いなく、その頃の恵比寿のハートのひとつだった。恵比寿の、僕のその小さな部屋には、人から安く譲ってもらった大きくてものすごく重たいアキュフェースのステレオ・アンプがあり、やはり重たいONKYOのスピーカーをレンガの上に載せていた。CDもあったけれど、だいたいいつもレコード・プレイヤーにレコード盤を載せて音楽を聴いていた。レコード盤が回っているその風景が大好きだった。時々、友だちがやって来て朝までレコードを聴きながら酒やコーヒーを飲んだ。あのとき、おおはた雄一の音楽を僕はまだ知らなかった。あのとき、あの部屋で、このアルバムのレコードがあったら、どんなふうに聞こえたのか。あの頃は忙しくて、でもお金は貯まらなくて、やることだけがいっぱいあって、まさに「今」を生きるのに精一杯だったような気がする。未来のことなんて、ちっとも考えていなかった。

 「ある夜に(Instrumental)」東京で、夜の街を歩いていて残念に思うのは、「カフェがないこと」だ。  パリやニューヨークには、終夜営業のカフェがいくつもある。パリではそれは「カフェ」と呼ばれ、ニューヨークでは「ダイナー」と呼ばれる。24時間いつでもブレックファーストのメニューを食べられるアメリカン・ダイナーの薄いコーヒーを僕は大好きだ。おかわり自由だから、何杯も呑む。プロフェッショナルなギャルソンがいるパリのカフェも大好きだ。どんなに寒くても外の席に座って、暗い街を見ながら酒を呑んでいる一人きりの中年女性、毎晩そこで新聞を読んでいる男など、パリのカフェには独特の日常があり、それはそのまま旅人にとっての異郷となる。その異郷の中に身を置く歓びが、パリのカフェにはある。東京には、そういうカフェがまったくない。カフェもダイナーも、早朝から開いていて、深夜にも入れるものなのだ(終夜営業の店が多い)。パリジャンやニューヨーカーは夜中にコーヒーを飲む。コーヒーを飲みながら考え事をしたり、人と語り合ったり、ひとりで落ち込んだりするのだ。東京では、人々は夜、酒しか呑まない。だから、夜中に考え事のできるカフェがまったくない。バーや居酒屋はたくさんある。でも、バーとカフェとはまったく違う。ファミリーレストランは明るすぎてダメだ。  金曜日の夜、こんなに寒い夜なのに、にぎやかに人が行き交う恵比寿の駒沢通りを歩きながら、これだけ多くの店が建ち並んでいるのに一軒のカフェも見つけられない。まさに路頭に迷ったような気分だ。一杯のコーヒーが、この街の夜にはない。 

「あの頃の匂い」「匂い」は、記憶の要(かなめ)だ。情景や言葉より、「匂い」はずっと鮮明に記憶に残り、思いを甦らせてくれる。  いつか真冬に、北海道、阿寒の森の奥深く、膝まで積もった雪の中で鼻腔を凍らせたあの冷たい匂い。あの匂いが、今も甦ってくる瞬間がある。そぼ降る雨の朝、マウイ島ワイルクの小さなミュージアムの、小さな庭で、ある音楽家を待っているときに感じた、草と花と樹木の匂い。ロンドンの地下鉄ノーザンラインの、カビのような古い匂い。パリのメトロの汗と小便が混ざったような不快な匂い。「匂い」は、何よりも確実に明らかに、記憶を甦らせてくれる。 

「存在」高田渡の歌だと思ったら、れっきとしたおおはた雄一の歌だった(ゴメンナサイ!)。歩きながら自分の頬に触れ、胸を触り、ちんちんを(ジーンズの上から)確認する。酔っぱらいの歌のようだけれど、この歌を聴いていると、酔いが覚めてくる。酔いを覚ましてシャンとしろよ、と言われているような気がする歌だ。 

「にじみ」恵比寿から、茶屋坂を下りて、途中、目黒川沿いの遊歩道に入る。春は桜が満開になるこの道も、今は裸ん坊の樹木が並んでいて、川面を駆け上がってくる風がやけに冷たい。マフラーをまた持ち上げて首もとをブロックする。空気は冷たいけれど、車の音が入ってこないこの道を歩いていると、イヤフォン越しに流れてくる音楽はいっそう大きく広く深く響いてくる。身体に、歌とメロディが滲んでくるようだ。ずっとずっと昔、iPodではなくウォークマンの時代。ニューヨークで、真冬の真夜中、午前3時過ぎに、ウォークマンを聴きながらダウンタウンからアップタウンへ歩いていた。ブロードウェイかフィフス・アベニューか忘れてしまったけれど、タイムズスクエアからすぐの安宿に戻るため、大通りを歩いていたのだった。ウォークマンのカセットテープから、ポール・サイモンが歌う「Still Crazy After All These Years」が流れてきて、ニューヨークの真夜中の道を歩きながら思わず涙が流れてきたことをよく憶えている。それは僕にとっての、とても大きな「音楽的体験」のひとつだった。目黒川沿いの遊歩道を真冬の夜に歩きながら、この「にじみ」という歌を聴きながら、そんなことを思い出していた。音楽もまた、匂いのように、あらゆる記憶を呼び起こし、あらゆる過去の出来事と繋がっていく。そして、おおはた雄一の歌は、そのように時間や情景を織りなす音楽ではないかと思う。

 「おだやかな暮らし(with tico moon)」坂本美雨が歌うこの歌も、原田郁子が歌うこの歌も、僕は同じように好きだ。名曲、と呼ばれるべき音楽があり、これは間違いなくそのように呼ばれるべき1曲だと思う。  欲しいものは穏やかな暮らし、当たり前の太い根を生やし・・・とおおはた雄一が歌っている。なぜ、それが当たり前のようにできないのか。歌は時々、人を悲しませたり、傷つけたりもする。この美しい歌は、僕をいつも傷つけるのだ。

 「物語はつづく」レコードの時代に生きてきたから、音楽はいつも、「アルバム1枚」で買うことにしている。1曲だけ買うということはしない(というより、できない)。A面とB面のある時代に生きてきたから、アルバムはいつも、その通りに頭から最後まで順番に聴くことにしている。シャッフル機能を使うことはない。その音楽家が、なぜその曲を1曲目に置くのか、その音楽家が、なぜその曲を最後に置くのか。そういう無為な想像も含めて僕はアルバムを聴く。こういう曲が最後にあってよかったなと思う。  冷たい風が吹く山手通りを渡り、僕はかむろ坂を上っていく。もうすぐ家に着く。おおはた雄一さま、素敵なレコードをありがとう。