> March 15, 2017

伊藤ゴロー『捨てられた雲のかたちの』(SONG X 045)

 映画にはロードムービーがあり、文学には紀行文学というジャンルがあるように、伊藤ゴローの三枚目のソロアルバムは、「旅」や「移動」といった言葉を強く想起させる、音楽によるロードムービーとでも言いたくなるような作品である(ただし、物語として始めから終わりまで一貫したストーリーを語っているというよりも、各楽曲が断片的なシーンを形成しながら、緩やかに有機的連関を保っているというイメージである)。一体、この「旅」や「移動」という印象はどういった点に由来するのだろうか。ブラジルと東京で、全く違ったメンバーで録音された楽曲の空気感の違いなのか。あるいはアルバム全体を散りばめられた"Land"という楽曲群が醸し出す、鄙びた場末の街角に似つかわしい、美しくも不穏な音楽のためなのか。それとも単純にアルバムタイトルの由来である、水蒸気と化した雲の当て所ない逍遥を描いた平出隆の詩、「捨てられた雲のかたちの」のイメージによるのか。 


 というのも、伊藤ゴローは作中において、たとえば「中央アジアの草原にて」でボロディンがロシア民謡を、ドビュッシーが「塔」で東洋風の五音音階を使ったように、異国情緒を感じさせるために地域性の強い音楽的要素を用いるという方法をとってはいない。ブラジルの音楽家たちとリオで録音を行ったとはいえ、ショーロやサンバのようなブラジル音楽の素材を多く使っているわけでもない。この作品から受け取る「旅」や「移動」といったイメージは、上記のようなわかりやすい音楽的地域性を利用したものではないように思われる。実際、セッションに参加した演奏家たちの多くは、ブラジル音楽ではなくジャズをメインに学んできたアーティストたちである。加えて、セッションは上記の"Land"(アントニオ・カルロス・ジョビンが多くの楽曲を作曲した別荘のある自然豊かな土地ポッソ・フンドを指しているとのことである)をキーワードに自由に行われた即興がメインになっており、ある特定の音楽のスタイルを目指して入念に作り込まれた楽曲ではない。 

 この点に関して、伊藤ゴロー自身のコメントが興味深い。伊藤ゴローは本作の制作過程にふれたインタビューの中で、海外で現地のアーティストたちと録音を行うことの意義について、「その土地の音」が自然に現れることの魅力を挙げている。ここで言われている「土地の音」は、例えば「ブラジル音楽」や「ボサノヴァ」といった商業的カテゴライズを超えたもので、そうであるからこそ「土地の音」と表現するほかないような何かなのであろう。ひょっとすると「旅」や「移動」といった印象は、セッションに参加した各演奏家たちが持つ、音楽的個性に濾過されながらも自然と表出された「土地の音」と、日本人である伊藤ゴローの音楽との間の距離感の中から生まれてきたものなのかも知れない。異なった土地や文化に生きる者たちの異質性と、現代において共通する音楽的関心を共有している者たちの同質性の出会い、同質性と異質性の出会いは、「旅」の本質でもある。伊藤ゴローの音楽家としての手腕は、安易にその二極を対置せず、セッションの中で主導権を取ながらそれらをわざとらしくなく調和のとれた形で楽曲に昇華させたところに見られる。そのせいであろうか、本作は特定の国のイメージを喚起させるような異国趣味を排した、架空の無国籍都市を旅するサウンドトラックとでもいうような独特の雰囲気の作品になっている。 

 さて、伊藤ゴローはアルバム間のコンセプトや美意識の連続性に特にこだわっており、自身の発表するアルバムはひとつの連続性のもとに聴いて欲しいと語っている。今回の作品も当然そうした連続性の中に位置付けられており、本作は『GLASHAUS』、『POSTLUDIUM』と続いた三部作の完結編になるという。 

 三部作の連続性でとらえたとき、即興と作曲の間の境界を崩していくような楽曲群や、対立する異質な要素を違和感なく同居させることで各要素の可能性を拡げていく点は、前作からつながる要素である。弦楽四重奏のアレンジのもと、東京で日本人アーティストと行われた楽曲だけとってみても、青森県立美術館のために作られたストレートで明るく親しみやすい「Fly me to the AOMORI」に、不協和音が効果的に組み込まれ、繊細で美しくも不可思議な雰囲気をたたえたタイトル曲と、バリエーション豊かである。ブラジルで現地の音楽家と行ったセッションの楽曲はフリーでジャズ的な印象の曲といった仕上がりで、そこにイタリアのバロック期の作曲家ルイージ・ロッシによる古典歌曲"Mio Ben"が加わってくる。これほどまでに異質な要素がひとつのアルバムとして統一感を保ちながらまとめられているのは、ほとんど奇跡的とでも言いたいほどである。 

 一方で、これまでの室内楽的な世界観の音楽から、先に述べたような「旅」を想わせる動的な音楽や、ジャズに寄った響きの粗暴な印象の楽曲など、新しい要素も数多く感じられる。セッションから生まれた"Land"は、どれもこれまでの二作には見られないほど、誤解を恐れずに言えばハードボイルドな曲調である。美しさや洗練の中に、敢えて粗野な要素を入れて作品に奥行きを与えた点は、前二作にはない本作のオリジナルな部分と言えるかも知れない。 

 今回のアルバムで垣間見られたこのような新たな要素は、また新しい次のソロアルバムへとつながっていくのではないかと思われるが、伊藤ゴローは次作ではさらにクロスオーバー的に和楽器を使い、自身のルーツである青森という土地に根差した音楽を模索中であるとも聞く。伊藤ゴローの音楽は今後どこへ向かっていくのか。音楽シーンに追随するのではなく、自らの関心に依りながら新たな領域を開拓していくアーティストであるだけに、今回の三部作の音楽がどのように次作へとつながっていくのかとても興味深い。

words by 大内 拓志

> May 9, 2015

夜の歌を聴きながら

夜の歌を聴きながら 

今井栄一(2月13日、金曜日の夜に)  

冬の夜、知り合いと渋谷で呑んだ後、歩いて家まで帰ることにする。自宅は武蔵小山の辺りだから、けっして近くはないけれど、遠すぎるということもない距離だ。これまで幾度も、渋谷、六本木、青山界隈から歩いて帰ったことがあった。「キラー通りより向こう側なら、地下鉄に乗る」と決めている。「キラー通りよりこっち側」なら、歩いて帰ることも多い。雨が降っていなくて、暑すぎなければ大丈夫。寒いのはまったく気にならない。歩いていれば身体はぽかぽかしてくる。夏の暑さの方がずっと辛い。8月の蒸し暑さの中、歩いて帰る気にはなれない。真冬の寒さは歩くのにちょうどいい。それに、歩くのは身体にいい。酔い覚ましにも、腹ごなしにもなるし。そして、1時間ちょっとの散歩は、音楽を聴くのにもちょうどいいのだ。  
 部屋で、レコードやCDで音楽を聴くのがもちろん一番いいのだろう。「音楽は部屋の中で、空気の中で鳴らして聴くべきだ」と誰かが言っていたけれど、なるほどその通りだよなと思う。でも僕は、自分の車を運転しながら聴く音楽も大好きだし、iPodで、飛行機の中、列車の中で聴く音楽もかなり好きだ。そして夜に、酔っぱらった頭のまま、歩きながらイヤフォンで聴く音楽も。  
 そんなわけで僕は、今夜、ポケットからiPodミニとイヤフォンを取り出し、指で画面をスクロールして、昨日そこに入ればかりの、おおはた雄一の新譜を出す。イヤフォンを耳にきっちりセットして、マフラーを少し持ち上げ首元を温めるようにして、歩き出し、プレイ・ボタンをクリックする。それから手袋もする。とりあえず道玄坂を降りて右へ曲がろう。歩道橋で246を渡り、線路沿いを恵比寿の方へ歩こう。おおはた雄一『夜の歌が聴こえる』、というアルバムだ。
  まさに、今の気分にぴったりじゃないか。  

 冬の夜に、渋谷で呑んで、冷たい月を探しながら歩くとき、「夜の歌が聴こえて」きたら、完璧だ。月はどっちに出ているのか、それとも今日は新月なのか、今はどこにも見えない。 

「窓辺にて」  おおはた雄一の「声が変わった」と思った。あるいは、録音状況やマイクの種類で、ボーカルとは大きく変わるのだろう。技術的なことは僕にはよくわからない。でも、おおはた雄一の声が、それまでのアルバムとは違うような気がする。
  何よりもまず、聴き始めてすぐ感じたのは、おおはたの「声のよさ」だ。「声」が、クリアに、冷たいくらいにクリアに、響いてくる。すごくいい。すぐそばで歌ってくれているような、そんな感じがある。英語に「crystal clear」という表現がある。「とんでもなく透明」というような意味だ。川や海の水があまりにきれいで透き通って見えるときなど、「crystal clear!」と言う。おおはた雄一の声が、そんな風に聴こえてくる。あるいは酔っぱらっているせいなのか、あるいは今夜の冷たい空気のせいかもしれないけれど。ロックでもジャズでも何でもそうだが、ボーカルがくぐもって聞こえたり、歌声が遠くに感じられてしまうような歌曲が、僕はどうも苦手だ。誰かが歌っているなら、歌声はいつも、真ん中にクリアに聴こえていて欲しい。いつどこで聴いてもまるでギュッと胃袋をつかまれるようなボブ・ディランの声。消えない波紋のようなビリー・ホリデイの声。肩を抱いてくれるようなルイ・アームストロングの声。北の大地のようなK・D・ラングの声。空から降ってくるようなニナ・シモンの声。たとえばそういった「声」が、僕は好きなのだ。おおはた雄一にも、いつか、そんな唯一無二の歌声になって欲しいと思う。

 「グッドイーブニング、ブルー」  歩きながら音楽を聴いていて楽しいことのひとつに、自分の歩調と風景と音楽がシンクロする瞬間、ということがある。  グッドイーブニング、ブルー、と歌う彼の声とリズムが、今の僕の歩調にぴったり合っている(少しだけ速いかもしれないが)。以前にも、おおはた雄一のアルバムを聴きながら夜に歩いたことがあった。広尾から武蔵小山まで歩いて帰ったあの夜も、快適な歩調だった。おおはた雄一の歌とリズムは、もしかしたら酔っぱらった頭と足にちょうどいいのかもしれない。今度、酔っぱらっていないとき、試してみないと何とも言えないけれど。  口笛が流れ、風景が流れる。自分が歩いているのに、まるで自分は止まっていて風景が流れている、そんな気分になる瞬間がある。そういう瞬間が続きながら歩いているときは格段に心地いい。ある種のトリップだ。何も吸っていなくても、ハイになれるのだ。そういう音楽がある。  歩く僕の左横を、混雑した山手線が行き交う。代官山の片隅のこの辺りは人通りも少なくて、いつも静かで、好きだ。渋谷から線路沿いを恵比寿へ向かうこの道を、これまで何百回と歩いてきた。ひとりで、あるときにはガールフレンドと。でも、ほとんどひとりで。恵比寿の雑踏が少しずつ近づいている。 

「小さなアンセム」言葉のある歌は、時に聞き流すことができない。メロディとリズムにのって「言葉」が、自分に語りかけてくるからだ。  もちろん、聞き流すことだってできる。日常的に音楽を聴いているときには、聞き流していることが多いだろう。けれど、ひとたび歌の「言葉」が自分に語りかけ始めると、その「言葉」は途切れることなく自分に入ってきてしまう。それで、あれこれと考え込むことになる。立ち止まらず歩きながら考える......。  そんなわけで、「自分の顔」について考える。「誰かの傘」について考える。「忘れて慣れてしまう」ことについて考える。ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」が大好きだ。おおはた雄一のこの「小さなアンセム」も、僕にとってこれからきっと、そのような大好きな歌のひとつになっていくだろう。思わず、名曲だな、と独り言を言い、そばを通った人が気味悪そうに僕を見た。 

「未来の月」代官山と恵比寿は僕にとって、小さな故郷のような街だ。20代の頃、ずっとその辺りに暮らしていたからだ。今夜歩いてきた、渋谷から代官山を少しかすって恵比寿へと向かう線路沿い、山手線の線路を見下ろす小さな部屋に最初暮らしていた。それから恵比寿駅の向こう側、広尾へと向かう五叉路のそばに引っ越した。  僕が恵比寿界隈に暮らしていた頃、アメリカ橋はまだ本当に「あめりか橋」という橋で、ガーデンプレイスはなかった。代官山には同潤会アパートメントがあり、そこの銭湯に時々行ったものだ。恵比寿駅は平屋のように小さな駅で、渋谷の隣駅だというのに、田舎町の駅のような感じで、それが恵比寿を好きだった理由のひとつでもあった。渋谷のあの雑踏まですぐだと言うのに、恵比寿は、まったく別の雰囲気のある街だった。その頃この街には、24時間営業のコンビニがまだ一軒もなかった。僕が住んでいた部屋のそばにサンエブリというコンビニがあり、そこが唯一の「遅くまで開いている店」だった(それでも24時に閉店だった。1990年代前半のことだ)。恵比寿駅の東口には、週に何度か、明け方4時頃に開く怪しい屋台があった。「由希子」という名の屋台で、明け方に開き、お昼頃までやっていた。会社勤めじゃない人たちが集まって、朝の7時、8時にユキコさんの温めた熱燗を飲みながら、名物のおでんを食べている様子は、なかなかにアヴァンギャルドだったと思う。タモリさんがその屋台の常連だったと聞いたけれど、少なくとも僕はそこでタモリさんを見かけたことはなかった。そう、若造の僕も常連だったのだ。明け方に呑みに行き、昼頃まで呑んでいる、そんな屋台に行けるのは、真っ当な人たちとは言えないかもしれないけれど、その屋台は間違いなく、その頃の恵比寿のハートのひとつだった。恵比寿の、僕のその小さな部屋には、人から安く譲ってもらった大きくてものすごく重たいアキュフェースのステレオ・アンプがあり、やはり重たいONKYOのスピーカーをレンガの上に載せていた。CDもあったけれど、だいたいいつもレコード・プレイヤーにレコード盤を載せて音楽を聴いていた。レコード盤が回っているその風景が大好きだった。時々、友だちがやって来て朝までレコードを聴きながら酒やコーヒーを飲んだ。あのとき、おおはた雄一の音楽を僕はまだ知らなかった。あのとき、あの部屋で、このアルバムのレコードがあったら、どんなふうに聞こえたのか。あの頃は忙しくて、でもお金は貯まらなくて、やることだけがいっぱいあって、まさに「今」を生きるのに精一杯だったような気がする。未来のことなんて、ちっとも考えていなかった。

 「ある夜に(Instrumental)」東京で、夜の街を歩いていて残念に思うのは、「カフェがないこと」だ。  パリやニューヨークには、終夜営業のカフェがいくつもある。パリではそれは「カフェ」と呼ばれ、ニューヨークでは「ダイナー」と呼ばれる。24時間いつでもブレックファーストのメニューを食べられるアメリカン・ダイナーの薄いコーヒーを僕は大好きだ。おかわり自由だから、何杯も呑む。プロフェッショナルなギャルソンがいるパリのカフェも大好きだ。どんなに寒くても外の席に座って、暗い街を見ながら酒を呑んでいる一人きりの中年女性、毎晩そこで新聞を読んでいる男など、パリのカフェには独特の日常があり、それはそのまま旅人にとっての異郷となる。その異郷の中に身を置く歓びが、パリのカフェにはある。東京には、そういうカフェがまったくない。カフェもダイナーも、早朝から開いていて、深夜にも入れるものなのだ(終夜営業の店が多い)。パリジャンやニューヨーカーは夜中にコーヒーを飲む。コーヒーを飲みながら考え事をしたり、人と語り合ったり、ひとりで落ち込んだりするのだ。東京では、人々は夜、酒しか呑まない。だから、夜中に考え事のできるカフェがまったくない。バーや居酒屋はたくさんある。でも、バーとカフェとはまったく違う。ファミリーレストランは明るすぎてダメだ。  金曜日の夜、こんなに寒い夜なのに、にぎやかに人が行き交う恵比寿の駒沢通りを歩きながら、これだけ多くの店が建ち並んでいるのに一軒のカフェも見つけられない。まさに路頭に迷ったような気分だ。一杯のコーヒーが、この街の夜にはない。 

「あの頃の匂い」「匂い」は、記憶の要(かなめ)だ。情景や言葉より、「匂い」はずっと鮮明に記憶に残り、思いを甦らせてくれる。  いつか真冬に、北海道、阿寒の森の奥深く、膝まで積もった雪の中で鼻腔を凍らせたあの冷たい匂い。あの匂いが、今も甦ってくる瞬間がある。そぼ降る雨の朝、マウイ島ワイルクの小さなミュージアムの、小さな庭で、ある音楽家を待っているときに感じた、草と花と樹木の匂い。ロンドンの地下鉄ノーザンラインの、カビのような古い匂い。パリのメトロの汗と小便が混ざったような不快な匂い。「匂い」は、何よりも確実に明らかに、記憶を甦らせてくれる。 

「存在」高田渡の歌だと思ったら、れっきとしたおおはた雄一の歌だった(ゴメンナサイ!)。歩きながら自分の頬に触れ、胸を触り、ちんちんを(ジーンズの上から)確認する。酔っぱらいの歌のようだけれど、この歌を聴いていると、酔いが覚めてくる。酔いを覚ましてシャンとしろよ、と言われているような気がする歌だ。 

「にじみ」恵比寿から、茶屋坂を下りて、途中、目黒川沿いの遊歩道に入る。春は桜が満開になるこの道も、今は裸ん坊の樹木が並んでいて、川面を駆け上がってくる風がやけに冷たい。マフラーをまた持ち上げて首もとをブロックする。空気は冷たいけれど、車の音が入ってこないこの道を歩いていると、イヤフォン越しに流れてくる音楽はいっそう大きく広く深く響いてくる。身体に、歌とメロディが滲んでくるようだ。ずっとずっと昔、iPodではなくウォークマンの時代。ニューヨークで、真冬の真夜中、午前3時過ぎに、ウォークマンを聴きながらダウンタウンからアップタウンへ歩いていた。ブロードウェイかフィフス・アベニューか忘れてしまったけれど、タイムズスクエアからすぐの安宿に戻るため、大通りを歩いていたのだった。ウォークマンのカセットテープから、ポール・サイモンが歌う「Still Crazy After All These Years」が流れてきて、ニューヨークの真夜中の道を歩きながら思わず涙が流れてきたことをよく憶えている。それは僕にとっての、とても大きな「音楽的体験」のひとつだった。目黒川沿いの遊歩道を真冬の夜に歩きながら、この「にじみ」という歌を聴きながら、そんなことを思い出していた。音楽もまた、匂いのように、あらゆる記憶を呼び起こし、あらゆる過去の出来事と繋がっていく。そして、おおはた雄一の歌は、そのように時間や情景を織りなす音楽ではないかと思う。

 「おだやかな暮らし(with tico moon)」坂本美雨が歌うこの歌も、原田郁子が歌うこの歌も、僕は同じように好きだ。名曲、と呼ばれるべき音楽があり、これは間違いなくそのように呼ばれるべき1曲だと思う。  欲しいものは穏やかな暮らし、当たり前の太い根を生やし・・・とおおはた雄一が歌っている。なぜ、それが当たり前のようにできないのか。歌は時々、人を悲しませたり、傷つけたりもする。この美しい歌は、僕をいつも傷つけるのだ。

 「物語はつづく」レコードの時代に生きてきたから、音楽はいつも、「アルバム1枚」で買うことにしている。1曲だけ買うということはしない(というより、できない)。A面とB面のある時代に生きてきたから、アルバムはいつも、その通りに頭から最後まで順番に聴くことにしている。シャッフル機能を使うことはない。その音楽家が、なぜその曲を1曲目に置くのか、その音楽家が、なぜその曲を最後に置くのか。そういう無為な想像も含めて僕はアルバムを聴く。こういう曲が最後にあってよかったなと思う。  冷たい風が吹く山手通りを渡り、僕はかむろ坂を上っていく。もうすぐ家に着く。おおはた雄一さま、素敵なレコードをありがとう。

> April 11, 2015

(Song X Interview - vol.001)『Flight』Keiji Matsui + Kan Fukuda

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 ベーシスト、作曲家、プロデューサーなど多方面で活躍する音楽家の松井敬治。彼がみずからエンジニアを務める「echo and cloud studio」は、武蔵野の住宅街にある。井の頭公園からもほど近い閑静な一角。豊かな木々に囲まれた建物はもともと設計事務所だったそうで、いまから10年ほど前、松井が友人たちの力を借りつつほぼ手造りで改装した。開放感あふれるドーム型の天井を持ち(高さは7メートル!)、大きなアーチ状の窓からはその時々の空の色や雲の動き、光の加減などがきれいに見える。訪れた演奏者たちが、まるで親しい友人宅の居間にいるようにくつろいだ気分になれる、知る人ぞ知るプライベートスタジオだ。

 気密性の高い都会のレコーディングスタジオとは真逆ともいえる、風通しのいい空間。親密な雰囲気とアコースティックな響きに魅了されたミュージシャンは国内外に少なくない。例えばカエターノ・ヴェローゾの"盟友"として知られるヴァニシウス・カントゥアリアもそのひとり。ツアーで日本を訪れた際に温かい音色に惚れ込んだこの異能のシンガー・ソングライターは、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げる最新作『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』のベーシックトラックを「echo and cloud studio」で録音した。また2011年にJR九州新幹線開通のキャンペーンソング「Boom!」がYouTubeで大ブレイクしたスウェーデンの女性シンガー・ソングライター、Maia Hirasawa(マイア・ヒラサワ)も、この場所の大ファン。同曲を収録した日本デビューアルバムも日本パートのレコーディングは松井が手がけている。いまも来日時にはふらりと遊びにきて、弾き語りを吹き込んでいったりするそうだ。住宅をDIYで作りかえた場所だから、もちろん爆音は鳴らせない。むしろ小さな音を繊細に聴き分け、ある場所固有のアンビエンスにこだわる音楽家たちの"隠れ家"として、記憶に残る演奏を生みだしてきた。

 本作『Flight』はそんな愛すべきプライベート・スタジオを用いて、松井敬治自身がひとり5年ごしで制作したアルバム。天窓から射しこむ柔らかい光と、居心地いい空気をそのまま真空パックしたような、愛すべき作品集だ。世の中には、家の気配と分かちがたく結びついた名盤というものが存在するが(例えばザ・バンドの『Music From Big Pink』や、ザ・ローリング・ストーンズの『Exile on Main St.』などを想起してほしい)、穏やかなインストゥルメンタルが主体の本作もまた、その系譜に連なる1枚と言えるだろう。収録された13のトラックはそれぞれ違うリズムや構造を持ちつつ、どこか共通の手触りを感じさせる。やさしく人の温もりがあって、リスナーを励ましてくれる明るいトーン...。さまざまな楽器の音色とスタジオ固有の残響とが溶けあって、聴くほどに「この場所でしか生まれえない世界」が見えてくる。けっして声高ではないけれど、聴き手のなかに心地よい映像を喚起してくれる音楽。『Flight』というアルバムが稀有な魅力をたたえている秘密は、そこにこそあると筆者は思う。

 そして今回、そのインスピレーションを根底で支えているのが、共作者・福田寛のすばらしいアートワークだ。ふたりの出会いは2003年のこと。あるバンドをプロデュースするにあたってCDジャケット用のイラストを探していた松井が、行きつけのカフェの併設ギャラリーでたまたま福田の展示を見かけたのがきっかけだった。松井いわく「ポップさとアバンギャルドさが絶妙に共存し、可愛いのになぜか毒気もある」画風に惹かれ、その日のうちに意気投合。以来、親交を深めながら「一緒になにかやりたいね」と話し合ってきたという。『Flight』のプロジェクトが動き始めたのは2010年。そこに込めた想いを、松井は次のように振り返る。

「豪華なリーフレットが付いたCDというのは、よくありますよね。でも僕らが創りたかったのはそういうものとは違う。音楽と絵が完全に等価なものとして響き合い、どちらか一方が欠けても成立しないような世界です。もともと彼の絵には、同じ表現者として嫉妬を覚えるくらいに強く惹かれていましたし。付き合いが深まるにつれて、尊敬の気持ちも強くなっていった。ちょうどその頃、福田くんが絵本を描き始めたこともあって...。共作という形でふたつを融合できれば、特別なものが作れる気がした。それで声をかけたんです」(松井)

 楽曲を説明するイラストレーションでもなければ、絵の内容にぴったり沿ったBGMでもない。 音楽家と絵描きがそれぞれ自由に想像力を羽ばたかせ、互いにインスピレーションを与えながら豊かになっていく世界──。やがてふたりの間で、「Flight=空を飛ぶこと」というモチーフが自然に浮かんできた。福田によれば、当初のやりとりはこんな感じだったそうだ。

「たまたま見つけた海外の古い雑誌に、『飛行』にまつわるイメージをランダムに集めたものがあって......それがとってもチャーミングだったんです。言葉そのものにも広がりが感じられて、それこそ想像力次第でどこまでも飛んでいける。明るくてポジティブな語感もいいよね、というような話もしたと思います。それでまず僕が、ラフスケッチを描いて松井さんに渡したのかな。小さな鳥たちが森の中を抜け、街の上空を飛んだりしているごく簡単なスケッチ。そこから少しずつ、時間をかけてキャッチボールが始まりました」(福田)

 柔らかなタッチの水彩画には、文字も文章も入っていない。だが、旅する鳥たちの絵をひとつひとつ眺めていると(まるで美しい風景に触発されたように)いろんな物語が浮かんでくるから不思議だ。空を飛ぶ喜びと、新しい世界への希望。ふとした瞬間に感じる不安や孤独、ちょっとした哀しみ。めぐりゆく季節と別れ、そして次なる出会い。一見、牧歌的な色彩の後ろ側には、驚くほど生っぽいエモーションが見えかくれしたりもする。

「僕はもともと彫刻など立体造形を手がけていて、絵を描き始めたのは人よりかなり遅かったんですね。 絵本に取り組むようになったのはさらに最近で、いまも悩みつつ続けています。大きなキャンバスで自由に手を動かせる絵画と、ある程度決まった寸法に収めなければいけない絵本とでは、アプローチがまるで異なる。全体で大きな流れを作りつつ、自分でもコントロールしきれない余白的な部分をいかに残せるか──。自分にとってそこは現在進行形の課題だと思います。ただし、言葉に頼らず何かポジティブなものを伝えたいという気持ちだけは昔から変わらない。手法として毒っけを用いることはあっても、表現というのは究極的には明るい方を向いてなきゃいけないと僕は思うんですね。『Flight』を共作して一番嬉しかったのは、松井さんがそういう想いをちゃんと掬いとり音楽で表現してくれたこと。上がってきた曲の完成度に驚き、ときには打ちのめされ、何度もスケッチし直したのを覚えています」(福田)

 もちろん苦労したのは画家だけではない。 音楽家は音楽家で、絵本に喚起された記憶や感情をひとつひとつ丁寧に音に置き換えなければいけなかった。その行程は機織りにも似て「とてつもなく細かく手間がかかった、もう二度とできないかもしれない」と松井は笑う。

「曲想はわりあいすんなり出てきたのですが、いざディテールを作り始めるとひとつのテイクを作ってはやり直し、作ってはやり直しの繰り返しで......とにかく時間がかかってしまいました。2011年3月11日の震災を挟んで、おそらく多くの人がそうだったように、自分がすべきことを見つめ直した期間も長かった。ただ、あの大きな出来事を経験し、すさまじい言葉の応酬なども目の当たりにした後で、結果的には『たとえ小さくても聴く人が安らげる、灯りのような音楽にしよう』と思えた気がします。もし聴いた人がこのアルバムに柔らかい光を感じてくれるのだとしたら、そういった心情の変化も影響してるんじゃないかな」(松井)

 ギター、ベース、ドラムス。ピアノとオルガン。コントラバスとチェロ。さらにはフルート、コルネット、コーラスワークまで。本作に収められた全パートは「echo and cloud studio」で松井自身が生演奏した。もちろん録音やミキシングもすべて自分で担当。人の手を一切借りず、慣れない楽器にもあえて挑んだのは「福田くんと孤独を分かち合いたかったから」。

「絵を描く人は基本、作業中はずっと自分と向き合わなきゃいけないわけですよね。今回は僕もそれにならって、ひとりでどこまでやれるか試してみたかった。しかもサンプリングは使わず、このスタジオ特有の響きを生かして、すべてのパートをアコースティックで録音するというのが音楽的なコンセプトでした。この機会に欲しかったチェロを買って、運指の練習から始めたり。中学校のブラスバンド以来、数十年ぶりにコルネットを吹いてみたり(笑)。パートによってはなかなか納得いくパートが録れず、100テイク以上重ねたこともありました」(松井)

 まずはギターやピアノで曲の軸となる旋律を奏でて、そこに膨大なパートを塗り重ねていく。かつてはOWL、the primroseなどオルタナ色の強いバンドを率い、内省的でエモーショナルなサウンドを得意とする松井にとって、これはまったく新しい経験だった。

「過去の自分と果てしなくセッションを重ねている感覚というか......少しずつ色彩を加えながら目指すべき絵本のイメージへと近付けていく、いわば絵画的アプローチだったかもしれません。自分の中にあるネガティブな音像を一度すっかり取り払い、聴いてくれた人がホッとするような明るい色で曲を描いていくのは新鮮な作業でした。しかも今回、自分ひとりでミュージシャンとエンジニアを両方こなさなければいけなかったので。それぞれのこだわりや思い入れが、自分のなかで分裂してしまうケースも少なくありませんでした。まさに行ったり来たりの繰り返しで、セルフプロデュースの難しさを痛感しました」(松井)

 だからこそ、と言ってもいいだろう。自分の内面としっかり向き合い、膨大な試行錯誤の末に紡ぎだされた『Flight』の収録曲はどれも、シンプルでありながら繊細な美しさを湛えている。例えば「Aメロ、Bメロ、サビ」という分かりやすい定型ではなく、まるでたゆたう波のように、いくつもの旋律が響きあって進んでいく構造。そのオーガニックな印象は、まさに福田が描いた絵の質感をそのまま表現しているようだ。

「制作中に迷ったときは、いつも絵本を眺めるようにしていました。そこに描かれた鳥たちは、森を抜け、山をこえ、ときには海をわたって街から街へと飛んでいく。そして多くの『Hello』と『Good-bye』を重ねながら旅を続けていきます。その姿は、もしかしたら僕やあなたの人生に似ているかもしれません。このアルバムはある絵描きと音楽が心を響きあわせ、そんな鳥たちがいる風景のためのサウンドトラックとして作ったものです。決まったストーリーはありません。手に取ってくれた人が想像力を働かせ、ページとページの間を自由に埋めてそれぞれの旅を体験してくれれば、送り手としてこんなに嬉しいことはありません」(松井)

Interview & text by 大谷 隆之 Takayuki Otani 


> March 20, 2015

(Song X Interview - vol.000)Interview with Vinicius Cantuaria

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 ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するブラジル人シンガー・ソングライター、ヴィニシウス・カントゥアリアがリオからNYに移住したのは1994年のことだった。それは、彼が昔からとりわけ敬愛してきた母国の音楽家アントニオ・カルロス・ジョビンが亡くなった年でもある。そして、そのジョビンの20周忌に合わせてリリースするつもりで2013年から録音が開始されたのが、ここにあるニュー・アルバム『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』である。タイトルどおり、ジョビンの作品だけをカヴァしたコンセプト・アルバムだ。しかし当然ながらヴィニシスウの歌は、これまで星の数ほど世に出てきたジョビンの諸々のカヴァ作品とは趣が異なる。ここにあるのは、潮風と共に宙を漂うボサノヴァではない。ヴィニシウスの横顔の輪郭を浮かび上がらせるのは、水面を舞う陽光ではなく、都会のアパートのカーテンの隙間から差し込んでくる一条の白い光である。そして、密林のむせかえるような湿気と精霊を宿したかのような、ほの暗く甘美な歌声...。2012年に出た前作のタイトル『アパート暮らしのインヂオ(Indio De Apartamento)』は、ヴィニシウスの立ち位置と哲学を的確に表現していた。彼は、アルバム・タイトルについて、こう語る。(以下、本人の言葉は2013年来日時におこなった僕のインタヴューから)

 「私はアマゾナス州で生まれた。それはつまり、インディオだということを意味する。私はアマゾンの緑のジャングルを出て、今はNYのコンクリートのジャングルで暮らしている。NYのアパートには、自分の弓と矢がある。つまり、ギターと歌が。そして、自分のスタジオもあるし、パソコンも使う。そういった都会のコンクリート・ジャングルの中で、ナマモノとテクノロジーを調和させた音楽を作っているのが私だ。そういう思いで、あのタイトルをつけたんだ」

ーヴィニシウスはアマゾナス州のマナウスで1951年に生まれ、7歳以降はリオで育ったのだが、"アマゾナス州生まれのインディオ"としてのアイデンティティは、昔から現在まで一貫して彼の音楽表現のよりどころとなってきた。

 「アマゾナスは、ブラジルの他の地域とは全然違う。森で覆われ、それが壁になっている。それは物理的意味だけではなく、精神的、イデオロギー的な壁でもあるんだ」
 
ー彼は、自分の音楽の土台には、アマゾンの音楽、ノルデスチの音楽、リオの音楽があると語るが、中でもアマゾンの音楽/音に対する意識は強烈であり、幼少時の生活環境から受けた影響の大きさについて何度も繰り返す。

 「マナウス時代はラジオで音楽を聴いていた。当時マナウスには一つしかラジオ局がなく、クラシックからポップスまで区別なくごった煮状態で一日中音楽が流されていた。50年代末期だから、ジョビンなどの音楽も少しずつ流れるようになっていた。あと、ストリートで庶民がやっている音楽も耳に入ってきていた。暑いから日陰に椅子を出し、誰となくギターを弾き、歌っていた。だいたいはラジオでかかる音楽のコピーを皆やっていたけど、特に先生がいるわけじゃなく、自己流なので、自分が聞こえたように勝手にやっているのが多かった。それは、マナウスという"場"からの影響が大きな音楽だ。先住民(インディオ)が多い地域なので、そういうリズムなども無意識のうちに入っている音楽なんだ。アマゾンには黒人がほとんどいない。つまり、アフリカが希薄だ。だから、サンバ的なリズムはほとんどない。代わりにインディオの音楽のリズムがあるんだ」

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ー記憶の最も奥底に残っている音の情景も、ジャングルと深く関わっている。 

「マナウスは今は大都市だけど、私が幼い頃はまだジャングルと一体化した町だったし、アマゾンの膨大な水と森に囲まれていた。自宅前の通りを下ってゆくと、行き止まりは川で、その先には未知の世界、ジャングルが広がっていた。日常的に川をカヌーで行き来する人々がいて、彼らがたてる音や、さわがしい会話、果物売りの声...そういったものが混然一体となった世界が、私にとってのアマゾンの情景なんだ。ジャングルの方からは、インディオやカボクロ[土着化した白人や、インディオと白人の混血] の人たちの音楽も聞こえてくる。インディオの音楽はハーモニーがない。同じメロディを一緒にユニゾンで歌う...」

ーそういったアマゾン的感覚こそが、冒頭で述べた『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』を覆う甘美なほの暗さ、陰影の深さの正体なのだろう。たとえばエグベルト・ジスモチンチも、若い頃の一時期アマゾンで暮らし、インディオ文化のエッセンスを自分の表現の中にとりこんでいったわけだが、ヴィニシウスのアマゾン性はそういった後天性の感覚、いわば学習して得たものとは異なる。いわば、文化的遺伝子なのだ。

 「ジャングル的、アマゾン的な感覚は、今回の『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』や前作『アパート暮らしのインヂオ』に限ったことではなく、私の作品、歌や演奏のすべてに入っている。長いつきあいのカエターノ・ウェローゾをはじめ、この新作のようにビル・フリゼルや坂本龍一とやっても、いつだって私の演奏の中にはアマゾン的要素が入っている。どんなにカリカオぽいジョビン作品であっても、私がやると、どうしてもアマゾン的ニュアンスが出てしまうんだ。更に言えば、現代のインディオたちは、アマゾンのジャングルに住んでいても携帯電話やパソコンを持っている。そういう点でもまた、私の音楽はアマゾン的なんだ」

ーそんなヴィニシウスによるジョビン作品のカヴァ・アルバム『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』。録音は2013年秋から、なんと東京でスタートした。坂本龍一や沢田穣治など日本人音楽家も交えながら。なぜ、日本だったのか。 

「今回のアルバムに関しては、日本で録音するということに大きな意味があると思ったんだ。ブラジル音楽に関して、日本人はひときわ強い関心を持ってくれているし、そのブラジル音楽のひとつの象徴であるジョビンのカヴァ集を日本で制作するというのは、とても理屈にかなったものだと思っている」

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ーそして、今改めてジョビンを歌うことについて。

 「2014年が彼の20周忌ということも、関係なくはないが...そんなことよりも、やはりジョビンという人間に対するシンパシーということだね。なにしろ、ジョビン自身もジャングルの人だしね。生まれはリオだけど、彼は鳥が大好きであり、森に入って鳥の観察をしたり、鳥の鳴き声の真似をしたりしていた。自宅も、リオのはずれの森にあった。環境問題などには誰も関心がなかった時代から、彼は、水をきれいにしようとか、環境に関してさんざん発言していたし、エココンシャスな歌も作った。そういう点で、彼の感覚はインディオたちに近い。というか、インディオそのものだ。私は、音楽の美しさに加え、そういった点で強烈な親近感をずっと抱いてきたんだ」

ーもちろん、個人的なつきあいも浅くなかった。

「幸いなことに、彼は僕のことをとても気に入ってくれていて、あれこれと面倒を見てくれた。94年のNY移住は、アート・リンゼイの誘いが直接のきっかけだったんだが、実はジョビンも、音楽家として成長できるから行った方がいいと後押ししてくれたんだ。おかげで、様々な音楽的実験が繰り広げられている渦中で多くの人たちと出会い、今もとどまることなく、私はますます"ブラジル人"になりつつある。この20年で、ブラジル音楽に新しいアイデアを投入し、それまでとは違う回路を作り上げることはできたんじゃないかなと思っている。ブラジルの建築家オスカー・ニーマイアーがそれまでの常識からは外れた建物を作ったようにね」

 アマゾネンセ(アマゾナス人)としての血を強烈に自覚しながら、NYのビルの谷間で独自のスキルとセンスを磨いてきたブラジル人音楽家によるジョビン作品集。『Vinicius canta Antonio Carlos Jobim』とは、つまりそういうアルバムなのである。

 「ブラジルの音楽家たちは、これからもずっとジョビンの作品を演奏し続けるべきだと思う。ジョビンは鳥のように飛べる自由な精神を生涯持ち続けた。その精神を忘れないためにも、僕らは常にジョビンの作品を演奏し続ける必要がある」

            松山晋也/Shinya MATSUYAMA